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武蔵野航海記

武蔵野航海記

一向一揆

蓮如上人の天才的な経営能力によって、信じるだけで救われると言う戦国時代向けのこの宗教は大流行します。

そして「講」を軍事組織の単位とした「一向一揆」が日本中で頻発します。

浄土真宗は色々な名称を持っています。
「本願寺」や「門徒」という言い方もありますし、「一向宗」とも呼びます。

「一揆」とは同じという意味です。皆が同じ制服を着ることを「一揆装束」と言いました。

国人達が大名に対する反乱を企てるときは、村の一向宗の寺に集まります。
そして例の「一山衆徒」の原則で会議を開きます。

皆が平等の一票を持つ多数決で議題を決めていくのです。

そして議決された事項を証文に書きます。その証文の最後は、神と仏に対してこの契約の遵守を誓う言葉で終わっています。

反対意見を持っていた者もこの決議に従うことが書かれています。そして契約に違反したら、神罰にあっても文句は言いませんと約束しているのが普通です。

この証文はメンバーの数+1枚作られます。一枚は燃やして、その灰を神水と一緒に飲みます。

この場合、議決は人間がしたのであって、この点がキリスト教の多数決とは違います。神と仏はこの契約の証人です。

この一向一揆は、「進めば極楽、引けば地獄」という、お釈迦様も親鸞聖人も言った覚えのない過激なスローガンを掲げて戦いました。

宗教的な信念に基づいた軍隊ですから、とにかく強かったのです。

加賀の国では、一向一揆が大名を追い出して、一向宗共和国を作りました。

信長は石山本願寺相手に苦戦します。

三河は一向宗が多いところだったのですが、家康の家来も一向宗の信者が多く、彼は若いとき大反乱を経験しています。

室町時代から戦国時代にかけての一向宗の全国的大流行により、比叡山の議決方式であった「一山衆徒」の多数決方式は、日本中に浸透し、ついには日本人の常識になりました。

現在、日本人は多数決をヨーロッパやアメリカがもたらしたものだと誤解していますが、比叡山発祥の伝統的なものです。

従って、ヨーロッパ式の多数決と日本式多数決は、その宗教的背景の違いによって違う部分があります。

ヨーロッパ方式は、多数決は神意の現れですから、神意に反する議決は出来ません。神の所有権の侵害である「基本的人権の侵害」は認められません。

仏教には、人間は神の創造物という発想はありません。宇宙はなぜか分からないが昔から存在するものです。

従って、神の所有権の侵害たる「基本的人権の侵害」という考え方もありません。

日本のマスコミが、「基本的人権の侵害」を平然と行っていることからも、日本人が伝統的な多数決原理に従っていることは明白です。

以前、このブログで書いた女子高校生の「裸刑」事件では、ヨーロッパ流の「基本的人権」が侵害されているとは、日本人は思いつきません。

昔の日本人であったら、神や仏を恐れない行為だと考え妥当な結論を出せたでしょう。

ところが、最近の日本では神や仏を持ち出すのが恥ずかしいと考えているのでしょうか。宗教的な善悪を持ち出しません。

その結果、どうしてよいか分らなくなっている様です。


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